2014年6月27日金曜日

老人と海

サンチャゴという年老いた漁師と少年の友情の会話から、物語が始まるヘミングウエイの「老人と海」は、よく知られていますね。

サンチャゴは少年と何回も海に出ますが、一匹も魚が釣れませんでした。
少年の両親は、もうまともに漁ができない老漁師を見限り、一緒に漁に出ることを少年に禁止します。

しかし、少年はサンチャゴが大好きで、彼の身の回りの世話をしながら、彼が漁に出る準備などを手助けします。

二人は、お互いに相手への思いやりに満ちた会話をしているところが、とても暖かく心が洗われるような気がします。

筑波大の征矢教授から、英語で読むといいと奨められて、読みました。

サンチャゴは、一人で海へ出ます。

そして、ようやく巨大なカジキが針にかかり、三日間の死闘の末、これを仕留めます。
港にもどる途中で、サメの大群がおそってきて、とうとう骨しか残りませんでした。

港にいた人たちは、骨ばかりになった獲物の大きさに仰天します。

しかし、サンチャゴは自分の小屋へ戻り、疲れから、ぐっすり眠ってしまいます。
少年はだまって、眠る老人の顔を見守るのでした。

「サンチャゴは、歳をとって体のあちこちが痛んできている。
病院に行けば、きっと『漁などもってのほか。治療に専念しろ。場合によっては、直ちに入院しろ』といわれるかもしれない。
そういう歳になってもサンチャゴじいさんは、自分に仕留められる限界に挑戦し続けるところがいい」という征矢教授の言葉に、同感します。

あそこが具合悪い。
ここが痛い。
何を食べたら健康か。
このサプリは、効果ありますか。
この症状を治してくれるところがないかしら。

ヨーガや呼吸法に来られる方は、自分の体にそれなりの関心があって、ケアーをする努力をしている人が、ほとんどです。
それでも、愚痴とも言えない愚痴がつい口に出てしまいます。

だから、もう一歩踏み込んで、みんなが「挑戦し続ける人生」へ向けての話題の話しをするようになることが、私の役割かなと思うことがあります。

また、私にはこの物語のような少年はいませんが、男女を問わず20歳代、30歳代の若手の人と交流していると、とても暖かい思いやりの心を持っていることを感じて、和やかな気持ちになることが多いことには、幸せを感じます。

世代を超えた、交流というものは、とても大切だなあとしみじみ感じる昨今です。

以上の話しは、
健康に無関心でいろということではありません。
体というものは、いつどうなるかわかりません。
だからこそ、どんなときにも、積極的に未来に向かって生きていく、気力を失いたくないと思うだけです。

 

2012年11月27日火曜日

キリスト教の神は人の食べ物として肉を与えていない

ある必要があって旧約聖書の創世記を読んでいました。
そうしたら、天地創造をした神様が、人間に与えてくださった食べ物は、
種のなる草と、果物だと書いてありました。
動物が生きるためにも、やはり青い草を与えると書いてありました。

しかし、人間に「動物を治めろ」と命じているけれども、神様は食べ物としてはあたえてくださっていないのでした。

やはり我々人間は、野菜を食べたほうがよさそうな気がします。
えっ?
「そんなのお前、信じているの」ですか。
特別に、信じているわけじゃないけど、ちょっと面白いことだと思いませんか。

神、彼らを祝し神彼らに言ひ給ひけるは「生めよ繁殖(ふや)せよ。
地に満盈(みて)よ、之を服従(したがわせ)せよ。
又海の魚(うお)と天空(そら)の鳥と地に動く所の諸(すべて)の生物(いきもの)を治めよ。」
神いひ給いけるは、「視よ我全地の面(おもて)にある實 (たね)のなる諸の草と核(たね)ある木菓(このみ)の結()る諸の樹とを汝等に與ふ、これは汝らの糧となるべし。
また諸
(すべて)の獣と天空のすべての鳥および地に匍()う諸(すべて)の物など凡そ生命ある者には我食物として諸(すべて)の青き草を與(あた)ふ」
と即ち斯くなりぬ。(創世記 第1-2830)

2012年9月20日木曜日

郡山にお住いの柳箸俊恵さんから次のようなメールをいただきました。
いまだに放射線が、生活に深刻な影を落としていることが、書かれていて、みんなが知っておかなければならないことだなあと思いました。
ご本人の許諾をいただきまして、全文を掲載させていただきます。


大変ご無沙汰しております。
 
DVDをいただいたにも関わらず、お返事が大変遅くなりました。
 
言い訳になってしまいますが、末の子供の部屋の放射線量が自宅の中で室内で一番高いまま(0.3~0.4msv/h)なので、あちこちと部屋の引っ越しをしているうちに迷子にしてしまい、やっと発見しました。
 
いろいろなことで、震災は記憶からなくなりそうな日本ですが、福島の放射能は存在しています。
我が家では、私たちの部屋を子供部屋に、私たちは和室に引っ越し、以前の子供の部屋は物置になっています。
といっても、生活している私自身も、以前ほど深刻では無くなってきています。
私たちはいいのですが、若い人や子供に、必ず影響は出ると思います。
原発ありきで、進められる行政に失望していますが、どうしようもない現実に無力感を感じます。
 
そうは言っても生きていかないといけないので、それなりに頑張っているつもりです。
今は、精神科病院のデイケア部門です。
同じ部門ですが、主に担当する業務がコロコロと変わるので、ちっとも落ち着きません。
10月からは、訪問看護が主な役割になるそうです。
精神科だけでも???なのに訪問まで加わるので、さらに??????です。
 
診療所のご活躍は、何よりです。
地道な活動ですが、凄いですね。
信念を貫くことで効果が現れて・・・、それがよく伝わってきます。どんどん、日本全国に拡大していって欲しいです。
福島県は長野県ほど予防活動が盛んなように感じません。
自分自身が、予防の環境にいないからかも知れませんが、人間ドックを大々的にしている病院は少ないし、規模も小さいし・・・。折に触れて、啓蒙できるように心がけたいと思います。
 
私は、大量野菜主義の食事の効果で、生活習慣病は今のところは大丈夫なようです。
キリギリスかと思うくらいです。
福島県の野菜は安くて新鮮ですが、素直に買えない自分が悔しいです。
 
これからも、ご活躍をお祈りいたします。
会費の振り込みが必要かと思うのですが、どうすればよろしいでしょうか?
 
よろしくお願いいたします。
 
楊箸俊恵


私は次のように返信しました。


楊箸俊恵様
 
ご連絡ありがとうございます。
放射線の不安がとてもリアルに伝わってきて、改めて考えさせられました。
 
このメールを僕の仲間に紹介させていただいて良いでしょうか。実名をださせていただけるようでしたら、その方が良いと思いますが、まずいようなら匿名で。
 
いただいたメールのように生活上のリアルな事實を私たちがほとんど目にすることがないので、とてもインパクトがあるのです。
 
いかがでしょうか。
 
高橋玄朴

次のようなご返事をいただきました。

高橋 玄朴 様
 
お返事どうもありがとうございます。
実名でも大丈夫です。放射能に苦慮している福島県民のために、少しでも役に立つようならと思います。
 
今でも、たった15年しか住まなかった長野県に帰りたいと思うのに、昔からずっと住んでいた所からの避難者の方々は、とても辛い毎日だと思います。でも・・・5年後に、「そんなこともあったね~。」と福島県に住みながらも、そう思う自分になりそうで怖いです。ホントに勝手だな~と思っているこの頃です。
 
よろしくお願いいたします。

楊箸 俊恵

2012年8月13日月曜日

孔子はどんなものを食べていた?

聖人と呼ばれる人は、どんな食事をしていたか、気になりませんか。

たまたま論語を調べていたら、出てきました。



上は、論語が書かれた当時の文字です。

郷當 第十です。

この文章の最後のところに
疏食菜羮 瓜と雖も祭るに必ず斉如〔さいじょ〕 たり
とあります。
このことが一番大切なんじゃないかなと、思いました。

以下に、その全文を見てみたいと思います。
太字は、読み下し文。
細字は、訳文。

食は精を厭〔いと〕わず。
主食は、普段は精白したものを摂らないが、精白したものでもかまわない。

膾〔かい/なます〕 は細を厭わず。
(肉や魚を細かく切ってあえたもの)は、あまり細かくしないものを食べる。

食の饐〔い〕して〔あい〕せる、魚の餒〔たい〕 して肉の敗〔やぶ〕れたるは食らわず。
すえて味の変わった食べ物や、魚が古くなって肉が崩れたものは食べない。

色の悪しきは食らわず。臭の悪しきは食らわず。
色が悪くなったものや、悪臭を放つものは食べない。

〔じん〕 を失いたるは食らわず。
煮加減がいい加減なものは食べない。

時ならざるは食らわず。
季節外れのものは食べない。

割〔きりめ〕正しからざれば食らわず。
肉でも野菜でも、切り方が正しくないものは食べない。

其の醤〔しょう〕を得ざれば食らわず。
その食べ物に合った付け汁や醤油のようなものがなければ食べない。

肉は多しと雖も食気(食〔し〕の気) に勝たしめず。
いくらうまい肉でも食べたくないときは、食べない。

唯 酒は量なし、乱に及ばず。
酒は飲む量は気にしないけれども、乱れるほどには飲まない。

沽酒市脯〔こしゅしほ〕 は食らわず。
市販の酒や干し肉は、食べない。

薑〔はじかみ〕 を徹〔てっ〕せずして食らう、多くは食らわず。
生姜は、必ず食べるけれども、たくさんは食べない。

公〔こう〕に祭れば肉を宿せしめず。祭肉は三日を出ださず。三日を出づれば之を食らわず。
君公の祭祀を執り行ったときに使われた肉は、その日のうちにみんなで食べて、三日も残さない。それ以上残した肉は食べない。

食らうに語らず。寝〔い〕 ぬるに言わず。
食事の時は、おしゃべりをしない。寝るときもしかり。

疏食菜羮〔そしさいこう〕 瓜〔うり〕 と雖も祭るに必ず斉如〔さいじょ〕 たり。
精白しない穀物や、肉が入っていない野菜だけの汁や、瓜のようなものなど(おいしくなさそうなもの)でも、祭りの時のように必ず厳粛に厳かに敬意をつくして食べる。

  

2011年12月4日日曜日

日野原先生100歳記念パーティー

昨日、京都で血圧管理研究会が行われた。
この日は、代表世話人の日野原重明先生の100歳記念講演と、パーティーが催された。

日野原先生が家庭血圧の測定と減塩食を推進する運動を起こされた経緯と、それによってどれほど、脳卒中が減ったのかというお話は、私たちにとって示唆に富んでいて、興味深いものがありました。

また、心臓の音を詳細に聞くために飲み込めるマイクを発明したことなど、一般にはあまり知られていない研究や発見のユニークさには、驚かされました。

特に、昔の台秤で感度の高いものは、心臓からでる血液の勢いによって健康な人で、±1㎏も振れるというお話を初めて聞き驚きました。
±2㎏揺れる人は、甲状腺機能亢進症、大動脈弁閉鎖不全が疑われて、詳細な検査が必要になるということには、さらに新鮮な驚きでした。
私は、体重計の針が揺れるのは、体が揺れるからだと、簡単に考えていたからです。

たかが体重計で、そんなことまでわかるのはすごいことだし、気がつかないけれども、そしてほんのわずかなことかも知れないけれども。
私たちの体はこのような形で、刻々周囲の環境と、微妙な対話を重ねているのだなと、思いました。

血圧管理研究会が終了してから日野原先生の百歳記念パーティーが行われました。
去年も、99歳の記念パーティーがありましたが、このときに出された食事に大きな変化がありました。
立食形式ですが、野菜の量が今年は圧倒的に多く、また、ステーキのようなものがなくなっていました。

内場先生もこのことを指摘されました。
「今年は野菜を食べている人が多くなりましたね。
それに、野菜をてんこ盛りして食べている人がとても多い。
世の中の流れが変わってきたことがわかります」と。

最後に、日野原先生の作詞作曲の「愛の歌」の全員の合唱で帰途につきました。
「愛の唄」は、日野原先生らしい賛美歌でした。

2011年11月15日火曜日

糖尿病で寝たきりにならないための血管マネジメント

国際糖尿病連合の発表によると2011年の世界の糖尿病患者の数の推計値が、3億6600万人となり、前年度より30%も増えたということです。

今まで、インドが世界一だったものが今回は中国がトップに躍り出たとのこと、日本は8位から、6位に悪化したそうです。

中国や日本などの西太平洋地域の増加が際だっていて、合併症による死者が全死者の15%を超えています。
日本人など東洋人が西洋的な食生活を進めれば進めるほど、悪化の度合いが多くなることでしょう。

あと一週間もすると、内場先生の「糖尿病で寝たきりにならないための血管マネジメント」(光文社)が、発売されます。
先生の切実な訴えを幅広く伝えたいと、思います。

2011年11月2日水曜日

外の自然と体の自然

朝、血圧と体重の測定記録をつけることに飽きてしまった。
それで、どうやってこれを遊びにするか。
これを楽しみの一つにするか考えた。

まず、カフの圧力の変化が呼吸法の練習にちょうどいいことに気がついた。
圧力の変化に合わせて呼吸法を練習しながら、臥位、坐位、朝のヨーガ後に分けて、それぞれ自然呼吸の時と呼吸法(吸いきって止息、吐ききって止息)をしているときとで、血圧にはどういう違いがあるかを調べ始めた。
まとめて、統計ソフトを使って調べると結構おもしろい。

しかし、それだけではやはり記録が単調だ。
次に始めたことは、その日の気圧、気温をみて、庭に出て天気、風、庭などの草花や虫など気がついた自然を一緒に書くことだった。

空模様を書くようになって気がついたことは、晴れと曇りの境目がはっきりしないことだ。
それから、今朝は「晴」と書いても午前中に曇ってしまうことはしばしばだし、昼前に雨が降り出すこともある。
一分前には、風が吹いていなかったのに、今は、梢を揺らす風が吹いている。
自然は一瞬一瞬変化して、とどまることがない。
ぼんやりとみているときは、あまり気がつかなかった。
毎日の発見が、興味深い。

それだけでない。自然は時々、大きく変化する。
強い雨がたたきつけるように降り続く日もある。
樹木に吹き付ける風で、ドードーと、大地が唸ることがある。
地震もある。

あの大震災は記憶に新しいが、あの日の直後の自然は穏やかで静かな日が続いた。
「何でこの静かな自然が激動したのか」

言葉が頭をよぎった。
ストレスとカタストロフィー

体も自然。
ストレスがきわまればカタストロフィーを起こす。
人生にストレスは、ヤマのようにある。
人間関係、食べ過ぎ・飲み過ぎ、食品添加物、農薬、残留抗生剤、放射能、天変地異、環境汚染、太陽活動の変動、……。
それらをかいくぐって生きている人間は、なんとけなげなのだろう。